ブルージーンズ
Another Story
久しぶりの再会をきっかけに、止まっていた時間が再び動き出す。
けれど汰一が撮ることになったのは、
大好きだった彼女の「幸せになる瞬間」だった。
登場人物
汰一
26歳歌手を目指しながらアルバイトを続け、フリーのカメラマンとしても活動している。
黒縁メガネに黒髪のパーマ風ヘア。黒のレザージャケット、白のタートルネック、黒のスキニーパンツが定番。
美奈とは幼い頃からの幼馴染。高校卒業後は会う機会も減っていたが、胸の奥にはずっと彼女への想いが残っていた。
美奈
26歳現役モデルとして活動している汰一の幼馴染。
短めのお団子ポニーテールに、白のレースブラウスと水色のブルージーンズが印象的。
数年前から交際している恋人がおり、最近はなんとなく「そろそろプロポーズされるかもしれない」と感じている。
久しぶりに再会した汰一へ「今度、私を撮ってほしい」と頼むが、その言葉にどこまでの意味があったのかは――。
01|再会
26歳になった汰一は、歌手を目指しながらアルバイトを続けていた。
その傍ら、知人から頼まれたポートレートやライブ写真を撮る、 フリーのカメラマンとしても活動している。
音楽も。
写真も。
好きだから続けている。
だけど、どちらかひとつで食べていけるほど、 現実は甘くなかった。
ライブの帰り。
終電間際。
ギターケースを背負いながら歩いていると、 ふと考えてしまう。
それでも辞められない。
辞めた自分を想像する方が、怖かった。
* * *
そんなある日の夜。
汰一は知人のライブを見るため、 カフェバー「SPOT」を訪れていた。
小さなステージ。
暖色の照明。
カウンターにはグラスが並び、 ステージでは知らないシンガーが恋愛の歌を歌っている。
汰一は店内の隅で酒を片手に、 その歌をぼんやり聴いていた。
ライブが終わった頃。
出演者や客が入り混じる店内で、 後ろから声がした。
「……汰一?」
一瞬、時間が止まったような気がした。
振り返る。
そこにいたのは――
美奈だった。
「え?」
「やっぱり汰一じゃん!」
昔と変わらない声。
でも。
昔より少しだけ大人になった顔。
汰一は数秒、美奈を見つめてしまった。
「……久しぶり」
「何年ぶり?」
「分かんない。結構経ってるだろ」
「相変わらずメガネなんだ」
「そこ?」
二人で笑った。
たったそれだけなのに。
胸の奥に、昔の時間が一気に戻ってきた。
近所に住んでいた幼馴染。
学校帰り。
コンビニ。
公園。
夏祭り。
どうでもいいことで喧嘩して、 次の日には何事もなかったみたいに話していた。
高校を卒業してから、それぞれ別々の生活を始めた。
少しずつ連絡が減って。
気づけば、会わなくなっていた。
「まだ歌やってるんだ?」
「まだって言うなよ」
「だって昔から言ってたじゃん。歌手になるって」
「一応、現在進行形」
「すごいじゃん」
美奈はそう言って笑った。
その笑顔を見た瞬間。
汰一の中に、 ずっと触らないようにしていた何かが動いた。
いや。
たぶん、違う。
昔からずっと、好きだった。
時間が経ったから。
会わなくなったから。
もう終わった感情だと思っていただけだった。
話の流れで、 汰一がカメラマンとしても活動していることを話す。
「じゃあ今度、私撮ってよ」
「俺が?」
「うん」
「モデルさんなんだから、 もっと上手いカメラマンいるだろ」
「でも、汰一に撮ってほしい」
その言葉だけで。
汰一はまた、少し期待してしまった。
「……いいよ」
「やった」
美奈は嬉しそうに笑った。
その笑顔の意味を、汰一は考えないようにした。
02|ブルージーンズ
数週間後。
二人は都内でポートレート撮影をすることになった。
白いレースのブラウス。
水色のブルージーンズ。
黒いパンプス。
昔から美奈は、青が似合った。
「もうちょっと右向いて」
「こう?」
「そう。そのまま」
シャッターを切る。
カシャ。
ファインダーの向こうで美奈が笑う。
カシャ。
「何?」
「いや」
「今絶対、変な顔してたでしょ」
「してないって」
「嘘」
また笑う。
カシャ。
――その日、汰一のファインダーに映っていた美奈。
けれど汰一にとっては、少し違っていた。
写真を撮っている間だけ。
汰一は堂々と、美奈を見ることができた。
目を見る。
髪を見る。
笑顔を見る。
その全部を。
「カメラマンだから」という理由で。
撮影が終わる頃。
夕方の光が差していた。
美奈が振り返る。
「汰一」
「ん?」
「今日楽しかった」
「俺も」
「また撮ってね」
「いつでも」
汰一は答えた。
――いつでも。
その言葉に。
自分だけが別の意味を込めていることを分かっていた。
それから二人は、 以前より少しずつ連絡を取るようになった。
仕事の話。
昔話。
どうでもいい動画。
今日食べたもの。
美奈からメッセージが届くたび、 汰一は少し嬉しくなった。
何度もそう思った。
幼馴染だから。
久しぶりに会ったから。
撮影して仲が戻っただけだから。
分かっている。
それでも。
人間は、 可能性がゼロじゃないと思った瞬間に、 勝手に未来を作ってしまう。
もし付き合えたら。
もし一緒に暮らしたら。
もしライブを見に来てくれたら。
もし。
もし。
03|「結婚することになった」
ある日の夜。
美奈から電話が来た。
「もしもし?」
「汰一?」
「どうした?」
「ちょっとお願いしたいことがあるんだけど」
「また撮影?」
「うん。撮影」
美奈が少し笑う。
「結婚式の写真、撮ってほしくて」
汰一は何も言えなかった。
「……え?」
「私、結婚することになった」
音が消えた気がした。
「この前、プロポーズされたの」
嬉しそうな美奈の声。
「そうなんだ」
自分でも驚くくらい、 普通の声が出た。
「おめでとう」
言えた。
ちゃんと言えた。
美奈はそのまま、 指輪の話をする。
式場の話。
ドレスの話。
彼との話。
これからの生活の話。
汰一は時々、
「へえ」
とか。
「いいじゃん」
とか。
「楽しみだな」
とか。
そんな言葉を返した。
電話の最後。
「汰一に撮ってもらえたら嬉しい」
少しだけ沈黙した。
「……俺でいいなら」
「汰一がいい」
また、その言葉だった。
汰一には分からなかった。
それがただ幼馴染としての信頼なのか。
何か別のものが、 ほんの少しだけ混ざっていたのか。
もう確かめる意味もなかった。
「分かった」
「めちゃくちゃ綺麗に撮ってやるよ」
美奈が笑った。
「ありがとう」
電話が切れる。
部屋が静かになる。
汰一はしばらく、 スマートフォンを握ったまま動かなかった。
涙も出なかった。
ただ。
何か大切なものが終わったということだけが分かった。
壁に立てかけてあった、 アコースティックギターが目に入る。
汰一はそれを手に取った。
椅子にも座らず。
コードも考えず。
ただ、弦を鳴らした。
ジャーン。
もう一度。
ジャーン。
荒く。
強く。
ガシャッ。
ガシャッ。
ガシャッ。
弾きたい曲なんてなかった。
歌いたい歌もなかった。
ただ、何か音を出していないと。
自分の中から、 別の何かが出てきそうだった。
「……なんだよ」
ガシャッ。
「なんで今なんだよ」
声が震える。
「何年も会ってなかったじゃん」
ガシャッ。
「なんでまた会ったんだよ」
涙がギターに落ちる。
「なんで……」
そこで初めて。
汰一は声を上げて泣いた。
26歳。
いい大人が。
子どもみたいに。
好きだった人が結婚する。
ただ、それだけのことで。
でも汰一にとっては。
一度も始まらなかった恋が、
ようやく終わった瞬間だった。
04|披露宴
数ヶ月後。
結婚披露宴当日。
カメラを首から下げた汰一は、 仕事として会場に立っていた。
ウェディングドレス姿の美奈。
今まで何度も美奈を撮った。
でも。
今日の美奈が、一番綺麗だった。
そして。
一番撮りたくなかった。
「美奈、こっち」
ファインダーを覗く。
新郎が美奈の肩を抱く。
美奈が笑う。
カシャ。
また笑う。
カシャ。
二人が目を合わせる。
カシャ。
幸せそうだった。
悔しいくらい。
心から。
幸せそうだった。
そういう問題じゃないことも分かっている。
誰かと誰かが結ばれることに、 勝ちも負けもない。
でも。
自分が一度も見ることのできなかった表情を。
美奈は彼の隣でしていた。
その事実だけで十分だった。
* * *
披露宴が終わる。
客も少しずつ帰り始めた頃。
美奈が汰一のところへ来る。
「今日は本当にありがとう」
「おう」
「写真、楽しみ」
「任せろ」
「やっぱ汰一に頼んでよかった」
一瞬だけ。
美奈が昔と同じ顔で笑った。
近所に住んでいた頃の。
高校生の頃の。
何も知らなかった頃の。
その笑顔を見て。
汰一の目に涙が浮かんだ。
美奈が気づく。
「……汰一?」
「いや」
汰一は下を向く。
一度、目元を拭う。
そして。
涙を浮かべながら、 無理やり笑顔を作った。
「幸せになれよ」
美奈は少し驚いた顔をする。
「……うん」
短い沈黙。
「ありがとう」
それだけだった。
だけど。
なぜか美奈も、 少し泣きそうな顔をしていた。
理由は聞かなかった。
聞けなかった。
もしかしたら。
ただ結婚式が終わって、 感傷的になっていただけかもしれない。
もしかしたら。
幼馴染との時間を思い出しただけかもしれない。
それとも。
ほんの少しだけ。
汰一と同じような気持ちを、 昔どこかで持っていたのかもしれない。
もう分からない。
そして。
分からないままでよかった。
「美奈ー!」
遠くから新郎の声がする。
「今行く!」
美奈が振り返る。
そして数歩歩いてから、 もう一度だけ汰一を見る。
「じゃあね、汰一」
汰一は笑う。
今度は少しだけ、自然に。
「じゃあな」
美奈は新郎のもとへ走っていった。
その後ろ姿を。
汰一はもう、写真には撮らなかった。
ただ。
自分の目で見送った。
Epilogue|残った一枚
その日の夜。
汰一は一人、 部屋で撮影データを整理していた。
ウェディングドレス。
指輪。
ケーキ。
家族。
友人。
新郎と美奈。
何百枚もの写真。
そして作業の途中。
以前撮ったフォルダを開く。
そこには。
白いブラウス。
水色のブルージーンズ。
夕方の光の中で笑っている美奈がいた。
汰一はその写真を、 しばらく見つめる。
ウェディングドレス姿より。
汰一には、 この美奈の方が美奈らしく見えた。
「……幸せになれよ」
今度は誰にも聞こえない声で呟く。
涙が一粒だけ落ちた。
でも。
汰一は少し笑っていた。
美奈を好きだったことを。
後悔したくなかった。
叶わなかったことより。
好きになれたことを。
いつかちゃんと、 大切な思い出にできればいい。
汰一はパソコンを閉じる。
部屋の隅には、 アコースティックギター。
しばらく眺めてから。
もう一度、それを手に取る。
今度は、乱暴には鳴らさなかった。
静かにコードを鳴らす。
そして。
まだ名前のないメロディを、 小さな声で歌い始めた。
汰一と美奈のグッズもあります
『ブルージーンズ Another Story』の二人を、お手元にも。
※本作は楽曲「ブルージーンズ (feat.MaRU)」から着想を得た フィクションストーリーです。登場人物・設定・物語は創作です。
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