イマドンにとって恋愛とは

どうも、イマドンです。

今日はちょっと、普段とは違う話をしようと思います。

テーマは「恋愛」。

僕は普段、音楽を通して色々な感情を表現しているわけですが、自分自身の恋愛観について、ちゃんと言葉にしたことってあまりなかった気がするんですよね。

恋人が欲しいとか、結婚したいとか。

もちろんそういう気持ちもあるんですけど、今回はもう少し根本的なところ。

そもそも僕は、恋愛に何を求めているんだろう。

そんなことを、過去の自分を振り返りながら書いてみようと思います。

愛されることで、自分の価値を確かめたかった

昔の僕は、とにかく自分に自信がありませんでした。

誰かに必要とされたい。
誰かの特別な存在になりたい。
自分のことを一番に考えてくれる人が欲しい。

そんな気持ちが、人一倍強かったように思います。

恋愛においても、それは同じでした。

好きな人ができれば、その人のことばかり考えてしまう。相手のちょっとした言葉や態度で一喜一憂して、連絡が来ないだけで不安になる。

今思えば、随分と依存体質だったんでしょうね。

実際、過去の恋愛では、自分の不安を相手に埋めてもらおうとしていた部分がありました。

相手のことが好きだから一緒にいたい。その気持ちに嘘はなかったけれど、そこには「一人になるのが怖い」という感情も混ざっていたんだと思います。

自分自身を好きになれないから、誰かに好きになってもらいたかった。

自分に価値があると思えないから、誰かに必要とされたかった。

そうやって、自分自身の価値を他人に委ねてしまっていたんですよね。

僕の方が相手に寄りかかりすぎて、結果的に関係が終わってしまったこともあります。

当時はただただ悲しかったけれど、今考えれば、相手にも相当な負担をかけていたんじゃないかなと思います。

恋人だからといって、僕の不安をすべて引き受ける義務があるわけじゃない。

そんな当たり前のことに、当時の僕は気づけていなかったんだと思います。

好きだけでは、どうにもならないことがある

もちろん、すべての恋愛が自分の依存だけで終わったわけではありません。

中には、自分ではどうしても受け止めきれない出来事があったり、相手との価値観の違いに苦しんだりしたこともありました。

相手のことを好きな気持ちはある。大切にしたいとも思っている。

でも、どうしても心のどこかに引っかかるものがある。

頭では理解しようとしているのに、感情が追いつかない。

そんな経験もありました。

誰にだって過去はあるし、人それぞれ違う人生を歩んできたわけです。

相手の生き方を僕の価値観だけで否定するのは違うと思います。

ただ、相手の生き方を尊重することと、自分がそれを受け入れられるかどうかは、また別の話なんですよね。

どちらが正しいとか、どちらが間違っているとか。

そういう問題ではなく、どうしても折り合いをつけられないこともある。

当時の僕には、その違いをうまく整理することができませんでした。

それに、生活や将来に余裕がない時ほど、恋愛に安心を求めすぎてしまうこともありました。

自分自身が不安定なのに、恋人との関係だけは安定していて欲しいと願ってしまう。

信頼したいのに、不安になる。
大切にしたいのに、相手を苦しめてしまう。

好きという気持ちだけでは、どうにもならないことがある。

それを何度も思い知らされた気がします。

始まらなかった恋にも、終わりはある

恋人同士になった関係だけが、恋愛のすべてではありません。

付き合っていなくても、誰かを本気で好きになることはあります。

一緒に過ごした時間があって、大切にしてきた関係があって。

その人との未来を、少しだけ想像してしまうことだってあります。

でも、どれだけ自分が相手を大切に思っていても、その気持ちが報われるとは限りません。

期待していた未来が、自分の思い描いていたものとは全く違う形になってしまうこともある。

もちろん、誰を好きになるのか、誰と一緒にいるのかは、その人自身が決めることです。

自分の気持ちが報われなかったからといって、相手が悪いわけではありません。

それでも、理屈では整理できない感情があるんですよね。

悲しさ、悔しさ、虚しさ。

自分が大切にしていた時間や気持ちは、一体何だったんだろうって。

自分の心を守るために、大切にしていた関係から離れることを選んだこともあります。

それでも気持ちは簡単には整理できず、当時は死んでしまいたいと思うほど追い詰められたこともありました。

今振り返れば、あの苦しさは一つの出来事だけが原因だったわけではないと思います。

それまでに積み重なっていた自信のなさや、将来への不安、自分自身に対する失望。

そういうものが、色々な出来事をきっかけに一気に溢れてしまったんでしょうね。

恋愛がうまくいかなかったこと以上に、自分という人間そのものを否定されたような感覚が苦しかった。

本当は、誰かに選ばれなかったからといって、自分の価値がなくなるわけではないのに。

当時の僕には、それが分からなかったんだと思います。

結局、僕は何を求めていたんだろう

こうして過去を振り返ってみると、色々な経験をしてきたなと思います。

誰かを大切にしたかったはずなのに、結果的に相手を苦しめてしまったこと。

相手の価値観を尊重したかったのに、自分の感情が追いつかなかったこと。

大切にしていた関係を失って、自分自身まで見失いそうになったこと。

もちろん、今でもすべてを綺麗に整理できているわけではありません。

ただ、一つだけ共通していたことがあるように思うんです。

自分に足りない何かを、相手に埋めてもらおうとしていたこと。

自分に自信がなかった時は、愛情を求めて。

生活が不安定だった時は、安心を求めて。

自分の居場所が分からなくなった時は、誰かの特別な存在になろうとして。

相手を好きだった気持ちに嘘はありません。

でも、その好きという感情の中に、自分自身を救って欲しいという願望が混ざっていたことも、きっと事実なんだと思います。

そして、相手に自分の心の安定を預ければ預けるほど、その関係を失うことが怖くなる。

怖くなるから、余計に相手に寄りかかる。

そんな悪循環を繰り返していたのかもしれません。

だからこそ、今は思うんです。

恋人という存在は、自分の人生を救ってくれる救世主である必要はないんじゃないかって。

何者でもない自分でいられる場所

今の僕には、ありがたいことに夢中になれるものが沢山あります。

音楽を作ったり、ライブをしたり、仕事をしたり、人と出会ったり。

やりたいことも、叶えたい目標も、まだまだ沢山あります。

だからこそ、昔のように恋愛だけが人生のすべてになることは、もうないと思っています。

ただ、その一方で。

最近、ふと思うことがあるんです。

世の中って、どうしても結果や実績、肩書きで人を判断する場面が多いじゃないですか。

どんな仕事をしているのか。
どれくらい稼いでいるのか。
どれだけの人に支持されているのか。
何を成し遂げてきたのか。

僕自身、音楽活動をしている以上、そういった数字や結果と向き合わなければいけない場面は沢山あります。

もちろん、目標を持って何かに取り組むことも、その結果を求めることも大切です。

でも、それだけが人間の価値なんでしょうか。

沢山の人に曲を聴いてもらえる自分。
ライブに大勢のお客さんを集められる自分。
仕事で成果を出している自分。

そんな自分じゃなかったとしても、僕は僕であることに変わりはないはずなんです。

それなのに、気がつけば「何かを成し遂げていなければ、自分には価値がないんじゃないか」なんて感覚に陥りそうになることがあります。

だからこそ、今の僕が恋愛に求めているものって、案外シンプルなのかもしれません。

何者でもない自分でいられる、心の居場所が欲しい。

何かを証明し続けなくてもいい。

無理に明るく振る舞わなくてもいい。

格好悪いところも、情けないところも、弱いところも。

全部ひっくるめて、自分でいられる。

家族とはまた違う形で、人生を共有できる相手。

ただそこに存在しているだけでいいんだと思える場所。

僕が今、恋愛に求めているのは、きっとそういうものなんだと思います。

絶対的な味方でありたい

僕が理想とする恋人像を言葉にするなら、「絶対的な味方」という表現が一番しっくりきます。

ただ、これは何でもかんでも肯定してくれる人という意味ではありません。

僕が間違ったことをしたら、ちゃんと間違っていると言って欲しい。

自分勝手なことをしていたら、遠慮なく指摘して欲しい。

時には意見がぶつかることだってあるでしょう。

でも、その意見の違いによって、相手の人格や存在そのものを否定するような関係にはなりたくないんです。

「あなたの考えには賛成できない。でも、あなたという人間を大切に思っている」

そういう関係って、すごく素敵だと思うんですよね。

何かに失敗した時も。
自信をなくしてしまった時も。
自分自身のことが分からなくなりそうな時も。

この人の前では、自分を取り繕わなくていい。

そう思える相手がいることって、ものすごく大きなことだと思います。

そして何より、これは僕が一方的に求めるものではありません。

相手にとっても、僕がそういう存在でありたい。

その人が社会の中で傷ついた時、夢がうまくいかなかった時、自分自身を嫌いになりそうな時。

「まあ、少なくともここには自分の味方が一人いるか」

そう思ってもらえるような人間でありたいんです。

依存と支え合いは、何が違うんだろう

ここまで書いていて、ふと考えます。

結局、昔の自分と今の自分は何が違うんだろうって。

だって、昔も今も、誰かに心の拠り所を求めているという意味では同じなのかもしれません。

ただ、少なくとも今は、依存と支え合いには大きな違いがあると思っています。

依存は、相手がいなければ自分を保てなくなること。

支え合いは、それぞれが自分の人生を生きながら、必要な時に手を差し伸べられること。

僕はそんなふうに捉えています。

もちろん、人間なんだから誰かに頼りたい日だってあります。

一人では抱えきれないこともあるし、時には思い切り甘えたっていい。

何でも一人で解決できることだけが自立だとは思いません。

でも、恋人に自分の人生の責任をすべて背負わせるのは違う。

相手には相手の人生があって、夢があって、価値観がある。

僕が音楽を大切にしているように、相手にも大切にしているものがあるはずです。

それを尊重できる関係でありたい。

お互いが無理をして相手に合わせるのではなく、自分の意思で一緒にいることを選び続けられる関係。

そんな恋愛が理想です。

とはいえ、実際に誰かを好きになった時、本当に昔と同じことを繰り返さずにいられるのか。

そこは正直、まだ分かりません。

いくら頭で理解していても、感情が追いつかないことだってあるでしょうから。

だからこそ、僕自身も、自分の弱さと向き合い続けなければいけないんだと思います。

特別な日より、何でもない日を大切にしたい

恋愛というと、デートに行ったり、記念日をお祝いしたり、旅行に行ったり。

もちろん、そういう時間も楽しそうだなと思います。

でも、僕が本当に大切にしたいのは、もっと何気ない時間なのかもしれません。

一緒にご飯を食べたり。
くだらないことで笑ったり。
今日あった出来事を話したり。
同じ部屋にいるのに、それぞれ別のことをしていたり。

何も話さなくても、気まずくならない時間。

別に毎日ドラマみたいな出来事が起きなくたっていいんです。

むしろ、何でもない日常を一緒に過ごせることこそ、ものすごく贅沢なことなんじゃないかと思います。

何かを達成した日だけじゃなくて、何もできなかった日にも「おかえり」と言ってくれる人がいる。

自分も「おかえり」と言える。

それだけで救われる日って、きっとあると思うんです。

恋愛は、自分を完成させるためのものじゃない

昔の僕は、自分に足りない何かを恋愛で埋めようとしていたのかもしれません。

誰かに愛されれば自信が持てる。
誰かに必要とされれば、自分にも価値があると思える。

そんなふうに考えていた気がします。

でも今は、少し違います。

恋人ができたからといって、自分の抱えている問題が全部解決するわけじゃない。

自分の弱さと向き合うことも、自分の人生を生きることも、結局は自分自身がやらなければいけないことです。

そして、それは相手も同じ。

だからこそ、誰かに自分を完成させてもらおうとは思いません。

未完成な人間同士が、お互いの未完成さを認めながら、一緒に生きていく。

それでいいんじゃないかなと思います。

恋愛をしたからといって、必ず幸せになれる保証なんてありません。

人間同士なんだから、傷つけ合うこともあるでしょう。

すれ違うことも、分かり合えないことも、きっとあります。

でも、だからこそ、分かり合おうとすることに意味があるんだと思います。

相手のことを完全に理解するなんて、きっと一生できません。

それでも、理解しようとすることはできる。

僕は、そこに愛情があるんじゃないかなと思っています。

最後に

こうして振り返ってみると、僕は随分と不器用な恋愛をしてきたんだなと思います。

相手に寄りかかりすぎてしまったことも。

受け止めきれない現実から目を背けてしまったことも。

自分の気持ちを整理できないまま、関係を終わらせてしまったことも。

今だからこそ分かることが沢山あります。

もちろん、当時の自分にしか分からない苦しさもありました。

だから、過去の自分を全否定するつもりはありません。

ただ、あの頃の自分と同じことを繰り返したくはないなと思います。

僕にとって恋愛とは、人生の主役を誰かに明け渡すことでも、自分の足りない部分を埋めてもらうことでもなくて。

お互いが自分の人生を生きながら、
帰ってこられる心の居場所を
一緒につくっていくこと。

なのかもしれません。

世界中の誰もが自分を認めてくれる必要はない。

何かを成し遂げた自分じゃなくてもいい。

強くなくても、格好良くなくても、何者でもなくても。

たった一人でも、ありのままの自分を大切に思ってくれる人がいる。

そして、自分もその人にとって、そんな存在になれる。

それって、十分すぎるくらい幸せなことだと思いませんか。

もっとも、その「たった一人」に自分のすべてを背負わせてしまわないように。

僕自身も、自分の足でちゃんと立っていたいと思います。

高校生の頃、あれほど誰かに愛されることで自分の価値を確かめようとしていた僕が、今は誰かと支え合うことを求めている。

少しは成長したんでしょうかね。笑

まだまだ未熟な人間ですし、これから考え方が変わることもあると思います。

それでも、いつかそんな人と出会えたらいいな。

そして、その時には僕自身も、誰かにとっての「心の居場所」であれたらいいなと思います。

それでは、また。

イマドン